中村獅童(なかむら・しどう)さんの家系図や父親・母親が誰なのかを調べていくにつれて、父親が元銀行マンで両親の死因に関心が集まっていることが判明しました。
次男・夏幹くんの指の病気を公表し、涙した場面が印象に残っている中村獅童さんですが、売れっ子の歌舞伎役者に成長したルーツを探るべく、まずは家系図をチェックしていきましょう。
中村獅童の家系図
中村獅童さんの家系図は「萬屋(よろずや)」という屋号の流れを引き継いでいます。
超豪華な家系図の画像を入手したので、早速ご覧いただきましょう。
また、同じ「中村」を名乗っていて、中村獅童さんの盟友にあたる中村勘九郎さんとの関係についても深掘りしていきます。
豪華すぎる家系図画像
中村獅童さんは8歳(1981年6月)から「2代目:中村獅童」を襲名しており、祖父の3代目中村時蔵さんは昭和の歌舞伎界きっての女形として名を馳せた超有名人です。
映画「いま、会いにゆきます」や特別ドラマ「小野田少尉 遅すぎた帰還」で共演した中村嘉葎雄さんは中村獅童さんの伯父にあたることも判明。
さらに、「子連れ狼」など時代劇ドラマで活躍した萬屋錦之介さんも伯父として家系図に名前を刻んでいるため、中村獅童さんは豪華すぎる親戚に囲まれていたようですね。
中村勘九郎との関係は?
大河ドラマ「いだてん」で共演した中村勘九郎さんと中村獅童さんは「はとこ」の間柄です。
2人とも「中村」を名乗っているため、兄弟?従兄弟?と噂されることが多くなっていますが、遠い親戚の関係なのは間違いありません。
今後も中村獅童さんと中村勘九郎さんが共演する機会は数多くなるはずなので、歌舞伎界のトップランナーとしてこれからも活躍してくれることでしょう。
中村獅童の父親は誰?
中村獅童さんの父親は小川三喜雄(おがわ・みきお)さんです。
女形の名優・中村時蔵さんの三男として誕生した父親・小川三喜雄さん。
しかし、10代で歌舞伎役者廃業の道を選択しており、元銀行マンから息子・中村獅童さんの個人事務所会長を歴任する、という波乱に満ちた生涯を過ごしていたのです。
歌舞伎を辞めた理由が壮絶すぎた!
「おやじは子役時代、弟たちが(先輩役者に)怒られたとき自分のを投げて怒って、歌舞伎をやめちゃって。」
引用:サンスポ
父親・小川三喜雄さんは弟(中村嘉葎雄、萬屋錦之介)が理不尽な形で叱責されたことに立腹し、商売道具でもあるカツラを投げつけたことがきっかけとなり、歌舞伎役者を辞めています。
縦社会の歌舞伎界は先輩役者が絶対の存在だったそうで、立派な家系図を誇っている名門の子供ということもあってか、周囲から厳しい態度を取られていたみたいですね。
2人の弟も歌舞伎の世界を飛び出し、俳優業に転身してから一気にブレイクしたので、父親・小川三喜雄さんの弟たちを守る行動はとんでもないファインプレーだったということになります。
元銀行マンだったって本当?
「銀行になって錦之介のおじが映画をやることになったときには東映のプロデューサーになった」
引用:サンスポ
父親・小川三喜雄さんは歌舞伎役者を辞めた後、演技の世界には未練はなかったようで、銀行マンとして働いていました。
弟・中村嘉葎雄さんの芸能活動をバックアップするため、父親・小川三喜雄さんは銀行マンから東映のプロデューサーへと転身し、輸入会社の創業オーナーとしても活躍。
「歌舞伎役者→銀行マン→東映プロデューサー→輸入会社の創業者」という異色すぎる経歴の持ち主ということになります。
父親・小川三喜雄さんの晩年は息子・中村獅童さんが立ち上げた個人事務所「有限会社中村獅童」の会長に抜てきされていて、裏方として強烈な存在感を放っていました。
中村獅童の母親は誰?
中村獅童さんの母親は小川陽子(おがわ・ようこ)さんです。
父親・小川三喜雄さんと結婚したのは22歳の時で、馴れ初めはお見合い結婚だったとのこと。
実家は京都府にある有名な酒屋だったそうですが、子供が女性だらけで発言権のない環境に嫌気を差した母親・小川陽子さんは、たった1人で東京へと出向いて、父親・小川三喜雄さんと運命の出会いを果たしました。
「陽子さんのステージママぶりは有名だが、それは夫の歌舞伎役者廃業に端を発している。その悔しさを陽子さんは獅童に向け、愛情を注いで育てあげた。人気俳優となった今日の獅童は、陽子さんにとってかけがえのない作品なのだ。」
引用:デイリースポーツ
母親・小川陽子さんは「梨園の妻」として息子を成功に導くことを生きがいにしていたようです。
「ステージママ」という良い意味でも悪い意味でも目立ってしまうワードが独り歩きしていた母親・小川陽子さんでしたが、中村獅童さんと元妻・竹内結子さんが離婚に至った要因だったのでは?と噂されることも多くなっていますよね。
結婚後も女優の仕事を辞めようとしなかった竹内結子さんに対し、母親・小川陽子さんが厳しく指導した?とも話題になっていて、離婚理由は嫁姑問題との見方が有力視されています。
中村獅童の両親の死因
中村獅童さんの両親の死因をまとめると、父親・小川三喜雄さんは「胃がん」で、母親・小川陽子さんは「心不全」です。
両親が亡くなった時の情報がネット上に数多く出回っていますので、1つずつ内容を整理していきましょう。
父親の死因
「平成20年、父親の小川三喜雄(みきお)さんが胃がんのため死去。79歳だった。」
引用:サンスポ
父親・小川三喜雄さんが亡くなったのは2008年10月11日で、死因は胃がんだと公表されました。
息子の中村獅童さんは大阪で舞台「黒部の太陽」に出演していましたが、父親・小川三喜雄さんの葬儀の喪主を務めるため、急遽東京へと戻っています。
2007年12月頃に父親・小川三喜雄さんは胃がんと診断されていて、約3ヶ月後の2008年2月に中村獅童さんと元妻・竹内結子さんの離婚が成立しているので、当時は壮絶すぎる日々を過ごしていたのは間違いないですよね。
母親の死因
「歌舞伎俳優中村獅童(41)の母小川陽子(おがわ・ようこ)さんが17日、心不全のため東京・杉並区の自宅で亡くなった。73歳。」
引用:日刊スポーツ
父親・小川三喜雄さんの告別式で喪主挨拶を務めていた母親・小川陽子さんでしたが、2013年12月17日に心不全を発症し、帰らぬ人となりました。
亡くなる直前まで母親・小川陽子さんは元気だったものの、1人暮らしをしていた東京都杉並区の自宅にある浴室で倒れているところを発見されたとのこと。
母親・小川陽子さんが冬場のお風呂で倒れたという点を踏まえると、自宅の中で急激な気温差が発生し、心臓に大きな負担がかかる「ヒートショック」が起因となって心不全を引き起こした可能性が高いかと思います。
まとめ
中村獅童さんの家系図をチェックしてみると、祖父に女形の名優・中村時蔵さんがいたり、伯父にも中村嘉葎雄さんや萬屋錦之介さんの名前があるなど、豪華すぎる血筋だったことが判明しました。
父親・小川三喜雄さんが元銀行マンなのは本当で、中村獅童さんの個人事務所会長を歴任していたものの、胃がんで亡くなっていることだけでなく、母親・小川陽子さんは心不全が死因となり急逝していたことが分かっています。