プロのスノーボーダーである戸塚優斗さん。
平昌オリンピックの日本代表としても活躍した戸塚優斗さんの家族構成はどうなっているのでしょうか。
父親と母親はどちらもスノーボードをしていて、実は兄弟がいたという噂も。
今回の記事では、
- 戸塚優斗さんの家族構成
- 父親と母親の職業、エピソード
- もう一人の母親とは
- 実の兄弟は本当にいるのか
- 兄と慕う人物
について解説していきます。
戸塚優斗の家族構成
戸塚優斗さんは、プロのスノーボード選手です。
2022年2月現在、戸塚優斗さんは20歳。
2018年の平昌オリンピックに出場、ワールドカップでは総合優勝を果たしました。
戸塚優斗さんの家族構成は、父親、母親、戸塚優斗さん、の三人家族です。
- 父親
- 母親
- 戸塚優斗さん
詳しく解説していきます!
戸塚優斗の父親
母親の影響で幼少期からスノーボードをしていた戸塚優斗さん。
父親はどのような人物なのでしょうか。
父親の職業はスノーボーダー?
戸塚優斗さんの父親は一般人のため情報は公開されていないようでした。
ただ、戸塚優斗さんと契約を結んでいるYONEXのホームページにこのような記載が。
両親の影響で3歳と物心つく前から、スノーボードを始め
YONEXより引用
「両親」ということは父親もスノーボードをしていた可能性が高いですね。
戸塚選手の父親と母親の出会いも、スノーボードがきっかけかもしれません。
父親とのエピソード
調査をしてみましたが、やはり一般人のため正確な情報は出てきませんでした。
戸塚優斗さんは両親の影響でスノーボードを始めたそうですが、どちらかというと母親の意向がメインだったような感じですね。
戸塚優斗の母親
プロのスノーボーダーとして華々しい記録を残し、活躍する戸塚優斗さん。
スノーボードを始めたのは、母親の影響が大きいようです。
母親の職業、どんな人物なのか、解説していきます!
母親の職業はスノーボーダー?
戸塚優斗さんの母親はスノーボード経験者です。
実力はというと、パイプでエアができるほどだとか!
なかなかの上級車ですね。
母親とのエピソード
始めてスキーをしたのは、母親に連れられて行った、富士山麓のスキー場「イエティ」だそうです。
日本一早くオープンするスキー場として有名で、「初音ミク」とコラボしたりイベントも開かれており、活発に活動されています。
現在戸塚優斗さんが契約を結んでいるYONEXのジュニア育成プログラムに小学3年生から参加をしていました。
その時からスノーボードの腕前は群を抜いていたのだとか。
しかし、意外にも当時はいやいや練習をしていたようです。
YOUTUBEの動画で、戸塚優斗さんは「無理やりやらされた」と、発言。
泣きながら練習に取り組んでいたようです。
しかし、ある時転機が訪れます。
それは戸塚優斗さんが高校1年生の時、片山来夢さんとの出会いでした。
片山来夢さんと一緒に滑った時に
楽しいな、そこからなんていうんだろう、好きになりましたね。
と過去を振り返っています。
2017年のワールドカップ遠征では片山来夢さんと同室になり、たくさん話をしたそうです。
そして、遠征後、母親に
始めて、というぐらい楽しかった
技の高さもレベルを上げて金メダルを取りたい
と興奮気味に報告。
それを聞いて母親はとても嬉しかったそうです。
2017年に開かれた第23回全日本スキー選手権大会スノーボード競技男子ハーフパイプで戸塚優斗さんは優勝しました。
優勝したのは、スノーボードの楽しさを見出すきっかけになったワールドカップ遠征前のことです。
まだスノーボードの楽しさを見出せていない中で、数々の優勝候補を押さえて一位に上り詰めたのですから、実力が計り知れません。
また、2017年のズムサタでは、ほのぼのエピソードも。
2017年のワールドカップに優勝した時戸塚優斗さんは16歳の未成年。
優勝した時に表彰台でつかう「シャンパンは飲んだらいけないよ」と母親からLINEがあったようです。
その言いつけを守って、しっかりと口を閉じていました。
親子の関係性が良いことが分かりますね。
とても癒されるエピソードでした。
母親が2人いるって本当?
戸塚優斗さんには実の母親のほかにもう一人、第2の母親と慕っている女性がいるようです。
その方は、元プロのスノーボーダーである「三井真紀」さん。
世界大会で入賞経験もある実力派のスノーボーダー。
- JAPAN SKI TEAMのメンバーに選ばれる(2006/2007シーズン)
- FISキスマーク・ジャパンオープンマッチ:女子ハーフパイプで2位(2007年)
- FISワールドカップ・富良野大会:女子ハーフパイプ5位(2007年)
また、YONEXのジュニアレッスンでコーチの経験もあります。(2011~2013年)
戸塚優斗さんは幼少期にYONEXのジュニア育成プログラムに参加していたので、そこで指導をされていたようです。
当時は、スノーボードの技術だけではなく、人としての基本的な部分も教えていたそう。
- 野菜もちゃんと食べる
- 挨拶はちゃんとする
三井真紀さん自身も自分のことを「第2の母親のつもり」だ語っています。
戸塚優斗さんはどんな子供だったかという質問には
- 泣き虫
- ちょっと怒られるとグズグズ
- 影に隠れて声が小さくなる子
技術面だけではなく、礼儀も指導してもらったおかげで、数々の成績を残せているのかもしれませんね。
戸塚優斗の兄弟
ただ、兄同然と慕っていた人物がいるようです。
しかし、そんな慕っていた人物との別れもあったそう。
詳しく解説していきます。
実の兄弟ではなく同じ所属の先輩
プロのスノーボーダーである、柳原真央さん。
ハーフパイプの選手としてJSBA公認プロを取得後 2014年のソチオリンピックの候補選手として活躍。 高校在学中も校内トップの成績を持つスーパーヒーロー。
HEAVEN STOREより引用
オリンピック候補として活躍し、実力のある選手でした。
2人は同じYONEXに所属をしていたことで知り合ったそうです。
東京にあるプロスノーボードショップの「HEAVEN STORE」を紹介してもらって、戸塚優斗さんはお店のメンバーに加わりました。

右から4番目が戸塚優斗さん
戸塚優斗さんと柳原真央さんはまるで師弟関係のようだったそうです。
「滑り、技、生活面、礼儀とかを習いました。あいさつが小さいってずっと怒られていた。感謝もあるし、そういう気持ちを忘れずにやっていきたい」
スポニチより引用
柳原真央さんからは、技術だけではなく礼儀なども教わったそう。
そんな二人に別れの時が…。
兄と慕う柳原真央は交通事故死
柳原真央さんは交通事故で亡くなってしまいます。
2011年12月3日、17歳という若さでの不幸でした。
柳原真央さんが交通事故にあった当時、戸塚優斗さんは10歳。
聞かされた時はただ茫然としていたようです。
今では、このステッカーが戸塚優斗さんのボードに張り付けられているようです。(参考:スポニチ【平昌で輝け】戸塚優斗 天国の“兄貴分”の分まで「感謝」の飛翔を)
兄と慕っていた人物の急な他界で頭の整理が出来ないのも当然のように思います。
柳原真央さんを思って、今でもスノーボードをされているのかもしれませんね。
今日で3年。まおにゃん先輩。
後ろばっかみたいわけじゃないけど後悔ばっか。もっと話したかったし関わりたかったな。生きてれば20歳か…。きっとスノボーでオリンピックとか出てたんだろうな。
柳原真央先輩
ご冥福お祈りします。— charu♪ (@0447Charu) December 3, 2014
戸塚優斗の出身地やプロフィール
- 名前:戸塚優斗(とつかゆうと)
- 生年月日:2001年9月27日
- 出身地:神奈川県横浜市保土ヶ谷区
- 身長:169㎝
- 所属:YONEX
両親の影響で3歳と物心つく前からスノーボードを始め、小学3年生の時にHPの練習を始めてのめり込む。 ハーフパイプのJSBA公認プロ資格を取得後、本格的に活動を開始。
YONEXより引用
幼少期から、スノーボードで類をみない実力を発揮してきた戸塚優斗さん。
戸塚優斗さんのボード作成を担当しているYONEXの方は、「ばけものですね」と評価。
強さの秘密は
- パイプの状況に左右されない
- 言われたことをすぐに体現できる
- 高さがある
- 綺麗な滑りをする
ことだそうです。
これからのさらなる活躍に期待したいですね!
まとめ
今回は「戸塚優斗の家族構成!父親と母親の職業や兄弟もスノーボーダー出身?」についてご紹介しました。
今回の記事の内容をざっくりとまとめると
- 家族構成は、父親、母親、戸塚優斗さんの3人
- 戸塚優斗さんの母親は、スノーボード経験者
- 父親は、一般人だがスノーボード経験者の可能性が高い
- 柳原真央さん(享年17才)を兄のように慕っていた
若くして大事な人物を失った経験を乗り越えて、今の戸塚優斗さんがあるのですね。
これからも、家族、そして兄のように慕っていた柳原真央さんのために頑張ってほしいと思います。