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照ノ富士の両親(父親と母親)はモンゴル国籍!兄弟は3人で家族のエピソード

照ノ富士(てるのふじ)の両親は父親・母親ともにモンゴル国籍だった?兄弟は3人いて家族とのエピソードは発掘された?など気になる話題を総まとめ。

大怪我を乗り越え、横綱昇進を果たした照ノ富士ですが、プライベートな情報はそこまで広まっていないので、まずは家族構成について深掘りしていきましょう。

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照ノ富士の家族構成

照ノ富士の家族構成は以下の通りです。

・父親、母親、姉、本人(照ノ富士)、妹の5人家族
・モンゴルの首都にあたるウランバートル生まれ
・2021年8月4日に照ノ富士が日本国籍を取得

モンゴル国籍の人たちは大人数の家族が多い印象ですけど、照ノ富士の実家は「父親・母親・姉・本人(照ノ富士)・妹」の5人家族だったことが判明しました。

出身地はモンゴルの首都・ウランバートルで、照ノ富士は白鵬の父親・ムンフバトさんに力士としての才能を発掘されたことを受け、日本の鳥取城北高校へと編入しています。

恵まれた体格を生かしたスポーツをやりたい!という思いはあったそうですけど、子供の頃の照ノ富士は相撲に入れ込むきっかけがなかったとのこと。

力士のエリート街道を歩んでいたわけではないのに、横綱まで出世した照ノ富士は本当に凄いですよね。

2021年8月4日には日本国籍を取得して「杉野森正山(すぎのもり・せいざん)」という日本語名も獲得した照ノ富士ですが、両親はモンゴル国籍のままなのでしょうか?

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照ノ富士の両親はモンゴル国籍

照ノ富士の両親はモンゴル国籍?と噂になっていますが、本当かどうかを調べてみました。

父親について

・名前は「ダラン・ガントルガ」
・2023年時点の年齢は58歳
・モンゴルの採掘会社で働いていた
・日本に移住したという情報はなく、モンゴル国籍のまま?

父親のダラン・ガントルガさんは日本でいうところの”アラ還”にあたる年齢58歳ということが分かっていて、モンゴルの採掘会社の社員だったことも判明しています。

職業以外の情報がほとんど出回っていませんけど、日本に移住したかどうかも分かっていないので、今現在もモンゴルに住んでいる可能性が高く、国籍もモンゴルのままのようですね。

母親について

・名前は「オヨンエルデネ」
・2023年時点で年齢は52歳
・モンゴルの食品加工工場で働いていた
・日本観光していた際、息子の照ノ富士が相撲にスカウトされる

父親のダラン・ガントルガさんと同様に、モンゴル国籍のままの可能性が高い母親・オヨンエルデネさんは、かつて現地の食品加工工場で勤務したことがあったとのこと。

照ノ富士が相撲道に突き進むきっかけを間接的に与えたのが母親・オヨンエルデネさんで、旅行感覚で来日したところ、息子の照ノ富士がスカウトを受け、稽古場を見学していたことも分かりました。

採掘会社の社員だった父親のダラン・ガントルガさん、食品加工工場で働いていた母親・オヨンエルデネさんの元ですくすくと育った照ノ富士ですけど、一家の長男で他の兄弟の存在も気になったので、情報を整理していきます。

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照ノ富士は3兄弟

照ノ富士は3兄弟の長男だったことが分かっています。

・3歳年上の姉と妹(年齢不明)がいる
・横綱昇進した際、姉が「おめでとう!」とエール送る
・妹の授業料を賄うため、照ノ富士が実家に仕送りしていた

年齢が3つ上の姉と妹の存在が判明していますが、名前や職業は分かっておらず、両親と同様にモンゴル国籍のまま日常を過ごしているものと思われます。

照ノ富士が横綱に昇進した時に姉から「一家の誇りです!おめでとう!」と祝福されていたものの、妹の授業料を支払うため、日本にいた照ノ富士が実家に仕送りしていたことが分かりました。

なぜ仕送りすることになったのかというと、父親のダラン・ガントルガさんが創業者だった会社が潰れてしまい、実家の家系が火の車状態になったからです。

自家用車だけでなく、実家のマンションも売却するしかない、という苦しい状況に追い込まれていたため、照ノ富士はずっと仕送りを続けていたとのこと。

大怪我で序二段まで番付が下がった時も毎月の仕送りを欠かさなかった照ノ富士の家族にまつわるエピソードをご紹介しましょう。

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照ノ富士の家族エピソード

照ノ富士の家族エピソードは発掘されているのでしょうか?

・モンゴル名(ガンエルデネ)は両親の名前が由来
・小さい頃はバター(モンゴル語で頑丈の意味)と呼ばれていた
・実家の姉と色々な分野で競争していた

モンゴル名が「ガントルガ・ガンエルデネ」の照ノ富士は、父親のダラン・ガントルガさんの「ガン」と母親・オヨンエルデネさんの「エルデネ」という2つの言葉が本名の由来になっているとのこと。

ただ、4.2kgで出生した照ノ富士だったのに、ひ弱な体質で病気を繰り返していたため、両親が現地の僧侶に相談したところ、照ノ富士のことを「バター」と呼ぶように、と指導されたそうです。

「バター」はモンゴル語で「頑丈」という意味があり、息子の呼び名を「バター」に変更することで邪気を振り払おうとしたところ、照ノ富士の体調が良くなり、どんどんたくましくなったというエピソードが存在していました。

また、幼少期の照ノ富士は3歳年上の姉と色々な分野で競い合うことが多かったそうで、母親・オヨンエルデネさんが作った「お手伝い日記(手伝いの数だけ点数が上がる)」でいつも勝負していたとのこと。

気遣い上手な点で有名な照ノ富士ですが、小さい頃に「お手伝い日記」の点数をめぐって姉と競争し合ったことが功を奏しているのかもしれませんね。

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まとめ

照ノ富士の両親(父親のダラン・ガントルガさん、母親・オヨンエルデネさん)はともにモンゴル国籍だったことが判明していて、3人兄弟の長男で3つ年上の姉と妹がいたことも分かりました。

妹の学費を払うために照ノ富士が仕送りしていただけでなく、両親の名前が照ノ富士のモンゴル名の由来になっていたり、姉と「お手伝い日記」の点数で競い合ったり、と微笑ましい家族のエピソードも見つかっています。

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