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【桐島聡の家族構成】実家は名家で結婚した妻や子供や生い立ちは?

重大事件の犯人として指名手配されていながら、余命わずかというタイミングで自らの素性を明かしたことで話題を集めた桐島聡(きりしま・さとし)さんの家族構成を徹底深掘り。

実家が名家って本当?結婚した妻や子供はいる?生い立ちが壮絶すぎた?など様々な噂が飛び交っている桐島聡さんの家族構成について情報をまとめていきましょう。

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桐島聡の家族構成

桐島聡さんの家族構成は「父親・母親・長女・次女・長男(本人)・次男」の6人ということが判明しました。

芸能人でもない桐島聡さんの家族構成がなぜ暴露されたのかというと、産経新聞の元記者・福井惇さんが発表した「狼・さそり・大地の牙 『連続企業爆破』35年目の真実(2009年)」という著書に家族構成が記載されていたからです。

福井惇さんは指名手配犯となった桐島聡さんの逃げ切りを許すまい!と様々な角度で取材を試みていて、桐島聡さんの生い立ちに関する情報を入手していました。

続いては、桐島聡さんの両親や兄弟など、実家時代の家族について深掘りしていきます。

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桐島聡の両親(父親・母親)と兄弟

桐島聡さんの両親と兄弟の名前・年齢は分かりませんでした。

ただ、父親が農林水産省で働いていたことや、母親が専業主婦の可能性が高いことだけでなく、桐島聡さんが見つかった時のDNA検査で兄弟から捜査協力を得たことが判明しています。

父親は農水省職員で母親は専業主婦か

両親に関する情報はほとんど出回っていません。

でも、父親は農林水産省(旧:農林省)の地方職員として働いていたことが判明していて、桐島聡さんの地元広島県の役人だった可能性が浮上しています。

父親が安定した収入が見込める農林水産省の職員で、家計面の心配はありませんから、母親はどこかで働くのではなく、自宅で専業主婦をしていた可能性が高いのではないでしょうか。

兄弟から身元確認のためDNAを採取

2人の姉と1人の弟がいる桐島聡さんですが、亡くなる直前に身元確認のため2人の親族からDNAを採取されていることが分かっています。

「桐島聡容疑者を名乗る男が死亡 きょうだい2人からのDNAで鑑定進める」

引用:FNNプライムオンライン

「きょうだい」と平仮名で紹介していることから、存命中の兄弟のプライバシーを保護しなければいけない、とメディアが判断したことが垣間見えますよね。

ただ、桐島聡さんの兄弟は3人いるはずなのに、2人からしかDNAを採取していないということになれば、もう1人は既に亡くなっていると理解するのが自然でしょう。

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桐島聡の実家は名家

桐島聡さんの実家が名家?という噂は本当でした。

広島県福山市(旧:深安郡神辺町)が生まれ故郷の桐島聡さんは、曾祖父と祖父がそろって地方議員を務めた過去があり、地元の名家として知る人ぞ知る存在だったそうです。

「曾祖父、祖父は村議会議員、町議会議員をそれぞれ務めるなど、生家は地元では名家として知られていた。」

引用:東洋経済オンライン

元議員なのであれば、名前が出てきてもおかしくありませんが、重大事件の犯人の親族という扱いになるので、曾祖父と祖父の個人情報が出回る可能性は低いかと思います。

祖父が地方議員だったのであれば、実家が裕福なのは言うまでもありませんよね。

さらに、桐島聡さんの父親が農林水産省の職員というエリートコースを歩んでいたことからも満足な暮らしをしていたのは明白ですし、裕福すぎたことの反動でとんでもない事件を引き起こしたのかもしれません。

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桐島聡が結婚した妻や子供は?

桐島聡さんが結婚した形跡はなく、妻や子供の存在も確認されていません。

でも、事件発生の翌年(1975年)に交際相手の存在を匂わせたり、女性からの猛アプローチを桐島聡さんが拒否したり、と様々なエピソードが見つかりました。

岡山へ彼女と逃亡?

「『岡山で女と一緒にいる』との親族への電話を最後に、警察も足取りをつかめなくなる。」

引用:東洋経済オンライン

桐島聡さんが事件を起こした1974年の翌年、家族に彼女の存在を告げた後、岡山県に滞在していることを打ち明けていました。

警察の捜査を煙に巻くためのカムフラージュだったかもしれませんが、家族には本当のことを言っておきたい、という良心が働いた可能性もあるため、1975年あたりは結婚を意識するような女性がいた可能性があります。

交際のアプローチを拒否

「30歳くらいだった女の子がウッチーを好きになっちゃって、告白したことがあったんです。そうしたら彼は“自分は年を取っているから君を幸せにできない”って断ったんだとか。」

引用:デイリー新潮

アプローチした女性が20歳ほど年下だったそうで、逃亡中の偽名「内田洋(ウッチー)」で生活していた桐島聡さんは年齢差を理由にして交際をキッパリと断っています。

ただ、交際・結婚という流れになったら、自分が指名手配犯だとバレるのは時間の問題ですし、桐島聡さんが相手の女性を好きだったとしても、付き合うのは難しい…と考えたのでしょうね。

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何をした?桐島聡の生い立ち

桐島聡さんの生い立ちをまとめると、明治学院大学に通っている時に爆破事件を起こし、神奈川県の土木会社で働きながら、49年間逃亡生活を続けた指名手配犯です。

末期癌で緊急入院し、余命わずかと知った桐島聡さんが自分の正体を警察に明かしたことがきっかけとなり、桐島聡さんの存在が日本中に知れ渡りました。

・尾道北高校から明治学院大学へ進学
・大学時代は歌舞伎町の料理屋でアルバイト
・1975年の韓国産業経済研究所爆破事件に関与
・神奈川県に潜伏し逃亡生活
・末期の胃癌で亡くなる

尾道北高校から明治学院大学へ進学

桐島聡さんの判明した学歴は「尾道北高校→明治学院大学・法学部」です。

進学校の尾道北高校出身ではありますが、学校のクラスメイトに対して「勉強して何になるんだ!」と吐き捨てた過去もあり、高校時代から桐島聡さんは世間の風潮に疑問を抱いていたようですね。

明治学院大学に進んでからは映画研究会のサークルに入ったものの、わずか1年で辞めているため、桐島聡さんは若い頃から飽き性の面があったのでは?と指摘されています。

大学時代は歌舞伎町の料理屋でアルバイト

高校の頃から癖の強そうな性格だった桐島聡さんですが、明治学院大学時代に東京歌舞伎町の料理屋さんでアルバイトしていたことが判明しています。

なぜアルバイト先が歌舞伎町だったのかは分かっていません。

ただ、桐島聡さんの心の奥底に「若いうちに遊んでおきたい」という気持ちがあったからこそ、あえて華やかな歌舞伎町をアルバイト先に選んだ可能性もあるのではないでしょうか。

1975年の韓国産業経済研究所爆破事件に関与

映画研究会はあっさり辞めたものの、歌舞伎町でのアルバイトは長続きしていた桐島聡さんですが、1975年に発生した韓国産業経済研究所爆破事件を起こし、「爆発物取締罰則違反」の容疑で指名手配されました。

桐島聡さんは「東アジア反日武装戦線」と呼ばれる組織に所属していて、「さそり班」の主要メンバーに抜てきされ、爆破事件を引き起こしたことが分かっています。

1975年当時の桐島聡さんの年齢は21歳でしたが、青春時代を謳歌したいはずの年代で重大事件の指名手配犯となったのですから、年を重ねるにつれて自分の愚行を後悔していたとしても不思議ないですよね。

神奈川県に潜伏し逃亡生活

指名手配された桐島聡さんは、警察の捜査から逃れるために「内田洋(うちだ・ひろし)」という偽名を用い、神奈川県藤沢市にある土木会社で働き始めます。

いつから土木会社で働いていたのかは分かりませんでした、

ただ、会社付近にある古い木造アパートの住み込みだったそうで、外出する機会が少なく、指名手配犯だとバレなかったのでは?と予想する声も多くなっています。

末期の胃癌で亡くなる

桐島聡さんの最新情報が急に拡散されたのが2024年1月25日で、神奈川県内の病院に末期の胃癌で入院していることが報じられました。

報道から4日後の2024年1月29日に桐島聡さんは死亡していて、本人確認のDNA検査を進めた後、神奈川県逗子市内の火葬場で荼毘に付されています。

親族が遺骨の引き取りを申し出なかったため、無縁仏となった桐島聡さんでしたが、自分が意識不明になる前に素性を明かし、本名で最期を迎えたかった…という人間らしさをうかがわせていました。

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まとめ

桐島聡さんの家族構成は両親と兄弟を含んだ6人で、福山市にある実家は名家として知られており、曾祖父と祖父がともに地方議員を務めた大物でした。

爆破事件を起こしてから壮絶な生い立ちだった桐島聡さんですが、結婚した妻や子供はおらず、女性からのアプローチを拒否したエピソードも明かされ、逃亡生活で孤独感を味わった後、末期の胃癌で亡くなっています。

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