井上宗一郎(いのうえ・そういちろう)選手の小学校や中学はどこ?高校と大学時代の成績は?といった話題はもちろん、学生時代のエピソードもキッチリご紹介。
バスケワールドカップ2023の日本代表候補入りを果たしている井上宗一郎選手の過去を掘り下げていくのに先立ち、まずは学歴と偏差値まとめをご覧いただきましょう。
井上宗一郎の学歴や偏差値まとめ
井上宗一郎選手(バスケ日本代表)の学歴は「世田谷区立桜小学校→世田谷区立梅丘中学校→福岡大大濠高校(偏差値62~71)→筑波大学(偏差値61~68)」です。
・中学までは地元(東京都)の公立校に通う
・バスケの強豪である福岡大大濠高校に進学
・偏差値の高い筑波大学に進む
バスケ日本代表の知名度がまだ低いこともあり、日本代表候補常連となっている井上宗一郎選手の詳しいプロフィールは掘り下げられていません。
ただ、井上宗一郎選手の出身地が東京都ということは判明していて、世田谷区立桜小学校から世田谷区立梅丘中学校に進んでいることを踏まえると、中学までは実家に住んでいた可能性が高そうですよね。
高校進学時に実家を離れる決意を固めた井上宗一郎選手は、バスケの強豪校というだけでなく、60以上の偏差値が要求される福岡大大濠高校に進んだ後、国立大学の中でも有数の高偏差値である筑波大学に進学しました。
続いては、井上宗一郎選手の小学校と中学校時代の様子やエピソードをまとめていきましょう。
井上宗一郎の小学校や中学校時代
井上宗一郎選手(バスケ日本代表)は世田谷区立桜小学校時代にスポーツ少年団を通じてバスケを始め、世田谷区立梅丘中学校の時には全国大会ベスト4入りを果たしています。
世田谷区立桜小学校
小学校の頃の井上宗一郎選手は、まだバスケプレーヤーとして開花していなかったようで、世田谷ミニバスケットボールクラブの桜スポーツ少年団に在籍していた、ということぐらいしか情報が出てきていません。
友達の勧誘がきっかけとなり、バスケに打ち込み始めた井上宗一郎選手ですが、本気でプレーすることよりも、友達と一緒に時間を過ごすことを優先していたようですね。
世田谷区立梅丘中学校
井上宗一郎選手が進んだ世田谷区立梅丘中学校は全国大会に何度も出場するなど、都内トップクラスのバスケ強豪校として知られていて、都内以外のエリアからわざわざ入学してくる猛者もたくさんいたみたいです。
中学2年の時、全国中学校バスケットボール大会でベスト4入りを果たしたほか、15歳以下の男子トップエンデバーのメンバー入りを決めるなど、類まれなる才能を発揮していった井上宗一郎選手。
後にプロ入りする八村阿蓮選手や塚本舞生選手、相原アレクサンダー学選手といったそうそうたるメンバーと一緒に全国大会で好結果を残した井上宗一郎選手の将来が明るくなったのは中学時代からだったのかもしれませんね。
世田谷区立梅丘中学校のバスケ部で知る人ぞ知る存在になっていた井上宗一郎選手はどんな高校時代を過ごしたのでしょう?
井上宗一郎の高校時代
井上宗一郎選手(バスケ日本代表)は福岡大大濠高校時代にインターハイ優勝を成し遂げましたが、希望のポジションで出場することができず、もどかしい日々を過ごしていたそうです。
・福岡大大濠高校3年の時にインターハイ優勝
・センター(CF)だったが本人はパワーフォワード(PF)を希望していた
・世田谷区立梅丘中学校時代の同級生たちと切磋琢磨
2023年のプロ野球オールスターゲームの選手間投票・パリーグ先発投手部門で見事1位に選ばれた山下舜平大選手を輩出するなど、バスケ以外のスポーツでも堂々たる成績を残している福岡大大濠高校に進学した井上宗一郎選手。
3年の時にインターハイ優勝を達成しただけでなく、ウィンターカップと国体でも決勝進出を果たしている井上宗一郎選手でしたが、チームでセンターのポジションを任されていたことにやや不満だった、という気になるエピソードが見つかりました。
元々はパワーフォワードのポジションを希望していた井上宗一郎選手ですけど、チームの編成上、身長が高い井上宗一郎選手がセンターに適任だ、と福岡大大濠高校のバスケ部監督が判断したようですね。
でも、八村阿蓮選手(明成高校)をはじめとする中学時代の同級生と全国の大舞台で対決できることを楽しみにしていた井上宗一郎選手は、かつてのチームメイトと切磋琢磨しながら、厳しい高校時代を乗り越えていきました。
最後に、井上宗一郎選手の大学時代を振り返っていきましょう。
井上宗一郎の大学時代
井上宗一郎選手(バスケ日本代表)は筑波大学時代に文武両道の理想形を突き進み、大学2年でインカレ優勝を果たし、プロ入りを決めました。
・1年からベンチ入りしていて、2年時はインカレ優勝メンバーに
・4年でインカレ3位となった後、プロ入り決定
・母親のために東京が本拠地のサンロッカーズ渋谷入団を決意
福岡大大濠高校でインターハイ優勝の実績を誇る井上宗一郎選手は、筑波大学進学直後の1年生からバスケ部でベンチ入りを果たしていて、2年に進級した時にインカレ優勝メンバーになっています。
なぜ井上宗一郎選手が筑波大学に入学したかというと、福岡大大濠高校時代の先輩が数多く筑波大学に進んでいただけでなく、スポーツと勉強を上手く両立させることに強いこだわりがあったのが理由のようですね。
大学4年でインカレ3位の結果を残した後、井上宗一郎選手はサンロッカーズ渋谷への入団を決めていて、プロのバスケ選手の仲間入りを果たします。
サンロッカーズ渋谷に入る決め手となったのは、当時アシスタントコーチを務めていた木下博之さんを慕っていたから、という井上宗一郎選手。
また、地元東京を本拠地にしていて、母親に活躍する姿を見せることができることもサンロッカーズ渋谷入団の理由になっている井上宗一郎選手は母親思いの好青年ということがいえますよね。
まとめ
井上宗一郎選手(バスケ日本代表)は世田谷区立桜小学校から世田谷区立梅丘中学校に進んだ後、福岡大大濠高校へと進学していて、インターハイ優勝など輝かしい成績を残しています。
筑波大学時代にもインカレ優勝を経験した井上宗一郎選手ですが、母親に恩返しするために地元東京のサンロッカーズ渋谷に入団したことなど、心温まるエピソードが存在していました。