福井優也投手の家族構成を総まとめ。
父親や母親の名前・職業はもちろん、兄弟が事故死した?など家族の過去への関心が高まっている状況ですので、しっかりと情報を整理していきます。
福井優也投手といえば、斎藤佑樹さんや大石達也さんと同じ早稲田大学出身というだけでなく、ドラフト1位で広島カープに入団し、貴重な先発右腕として活躍していましたが、今回は家族にまつわる話題をピックアップしていきましょう。
福井優也の家族構成
福井優也投手の家族構成は以下の通りです。
父親:俊治
母親:明美
長男:和真
次男:龍一
三男:福井優也本人
5人家族で3人兄弟の末っ子だった福井優也投手は岡山県英田郡西粟倉村出身で、中学校を卒業した後に硬式野球部が創設されたばかりの済美高校(愛媛県)へと野球留学しています。
家族と離れ離れになる形になっても野球に打ち込む決意を固めていた福井優也投手の精神力は並外れたものがあり、高校2年春の選抜高校野球でチームを優勝に導き、全国の野球ファンに衝撃を与えました。
済美高校卒業直前にはドラフト会議で巨人から4位指名を受けたのですが、高卒でのプロ入りを断念し、浪人生活を送ることになった福井優也投手ですけど、家族の支えがなければその後のプロ入りはなかったはずなので、福井優也投手にとっても家族の存在は大きかったはずですよね。
福井優也の父親
福井優也投手の父親・俊治さんは2011年4月17日の広島vs巨人(マツダスタジアム)を現地観戦していて、プロ入り初登板初先発を果たし、7回2失点でプロ初勝利を挙げた息子・福井優也投手の勇姿を見守っていました。
しかし、2013年秋頃に父親・俊治さんは54歳の若さで亡くなっていたことが判明していて、2014年7月27日の阪神戦で2年ぶりの勝利を挙げた直後のインタビューで福井優也投手自身が父親・俊治さんの急死を報告しています。
父親・俊治さんが亡くなった2013年シーズンは1軍で12試合(先発は1試合だけ)しか登板せず、0勝2敗という悔しい成績に終わっていたので、急死した父親・俊治さんのために何としても勝ちたい…という福井優也投手の強い思いが復活勝利につながったのは言うまでもないでしょう。
福井優也の母親
福井優也投手の母親・明美さんは健在で、プロ入り初勝利を挙げた2011年時点で母親・明美さんの年齢が53歳と紹介されていましたから、2022年現在の年齢は64歳になっている模様です。
詳しい職業は分かっていませんが、福井優也投手は済美高校時代から有名で、2022年になっても確たる情報が出てこないことを踏まえると、母親・明美さんは専業主婦の可能性が高いのではないでしょうか。
三男の福井優也投手だけでなく、長男の和真さんと次男の龍一さんも野球に打ち込んでいましたから、毎日3人分の弁当を作ったり、試合会場や練習場に送迎したり、と野球を続けている3人兄弟の世話をしていたのは間違いないでしょうね。
福井優也の兄弟は事故死の過去
福井優也投手の兄弟(長男・和真さん、次男・龍一さん)に関する情報をまとめます。
長男・和真は前橋育英高校野球部のコーチ
右利きのオーバースローという本格派ピッチャーの代表的な投球フォームをしていた福井優也投手とは異なり、長男・和真さんはアンダースロー(下手投げ)の投球フォームの元高校球児で、北関東の強豪校・前橋育英高校の野球部出身ということが判明しました。
高校以降の活躍は不明ですけど、長男・和真さんは母校・前橋育英高校野球部のコーチを務めていて、チームの躍進に貢献しているようなので、今後は福井優也投手とタッグを組む形で前橋育英高校の球児たちに野球を教え込む場面があるかもしれませんね。
次男・龍一が事故死の過去あり
次男・龍一さんも高校球児で、沖縄尚学高校で投手兼外野手として目覚ましい活躍を見せ、2003年夏の甲子園ではチームのベスト16入りに貢献していました。
ただ、福井優也投手が待望のプロ入りを果たした2011年の4月20日に交通事故死していることが分かっていて、2011年5月3日のヒーローインタビュー時に福井優也投手が次男・龍一さんが亡くなったことを報告しています。
済美高校の頃から強気な性格がウリだった福井優也投手ですけど、次男・龍一さんの事故死はかなりショックだったようで、涙ぐみながらヒーローインタビューを受けていたのが印象的でした。
まとめ
福井優也投手の家族構成は「父親・俊治さん、母親・明美さん、長男・和真さん、次男・龍一さん、本人」の5人家族で、それぞれの名前はもちろん、長男・和真さんの職業は前橋育英高校野球部のコーチをしていることが分かりました。
3人兄弟の末っ子ですけど、父親・俊治さんが54歳の若さで急死しただけでなく、次男・龍一さんは2011年に事故死するなど、暗い過去を背負いながら、プロの世界で懸命に生き抜いてきたのです。