アンミカのパリコレモデルの画像や若い頃の活躍エピソード!幼少期は極貧?

アンミカさんは若い頃に20歳でパリコレデビュー。

周りからの助言を受けて関西弁で素を出したことでバラエティーでもブレイクし、テレビを通して楽しませてもらっています。

「初耳学」という番組の「パリコレ学」の企画では指導者としても活躍されていました。

華々しく見える活動ですが、ブレークする前の若い頃は壮絶な人生を送っていたようです。

そこで今回は、

  • アンミカさんのパリコレモデル時代の画像
  • アンミカさんの若い頃の活躍エピソードや画像
  • アンミカさんの若い頃の極貧生活の裏側

についてご紹介していきます。

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アンミカのパリコレモデルの画像や若い頃の活躍エピソード

今のアンミカさんは知ってるけど、「若い頃の活躍はよく知らない…」という人も多いんじゃないでしょうか?

パリコレのショーに出るまでというのは、相当な高い壁があります。

初耳学のパリコレ学でもそのハードさや厳しさが伝わりますね、。

そこで、実際に若い頃の活躍エピソードや画像などもご紹介します。

アンミカ若い頃の活躍エピソードや画像【幼少期】

アンミカさんは今では考えられないですが、小さい頃は太っていたそうで。

1972年3月25日生まれ、身長171cmの今とは全然似ても似つかないですね。

小学校の卒業写真では、徐々に今のアンミカさんっぽくなってます。

現在のお姿はこちらの画像。こんなにきれいな美人姉妹に!

みなさん本当に綺麗すぎます!!!

母親からは「ミカちゃんは手足が長いから、将来モデルさんになれるかも」という心強い言葉もかけられたのだとか。

元美容部員だった母親のおかげか、妹さんの二人もボディセラピストと歯科衛生士という美に関する仕事に就いていているし凄いですね。

アンミカ若い頃の活躍エピソードや画像【高校生時代】

18歳でイギリスのファッション誌『I・D』に写真が掲載されたことがきっかけで「このモデルは誰だ?」と問い合わせがあり注目されることになりました。

日本人ではないようなビジュアルで存在感もありますね。

最初パリに行った時のオーディションでは、自分が好きな色の服を着ていき激しく怒られたとか…。

デザイナーに怒られた理由は「自分の顔立ちやスタイルに合っている洋服をまるで選んでいない!!」という理由でした。

「自分に似合うファッションを全く理解していないのに、どこのデザイナーがあなたを選ぶと思うの?!」とまで言われたそうです。

ですが、モデルという職業になることを父親には猛反対され、世間に認められるまでは帰ってくるなと厳しい言葉をかけられたのだとか。

アンミカ若い頃の活躍エピソードや画像【パリコレモデル時代】

高校からモデルとして活動を開始。

出身校は、大阪府住吉高校という難関高校です。

進学校としても知られていて財政界などでも活躍している人たちを多く出している学校。

貧乏で大変だったのにも関わらず入学できたということは相当な努力がうかがえますよね!

実はアンミカさんはスポーツマンでもあり、高校の陸上部でいい成績を残しましたが、体を壊し心残りのあるモデルを目指しています。

高校時代はモデルで活躍することが出来ずお金もないので、自分で生地を買ってきて服を作ることも。

家庭の事情もあり大学へは進学していません。

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アンミカ若い頃の極貧生活の裏側

アンミカさんの若い頃は、顔の見た目をブスだとどうせからかわれるから、ブスっとして下を向いてしまう性格だったそうで。

裏話であるエピソードの数々も普通の人ではなかなか体験できないお話です。

他人の家の2階で4畳半の部屋で暮らしていた

帰宅すると、1階の知らないおじさんの横を通って2階に上がる生活。

なんとその部屋に7人家族で住んでいたとのこと。アンミカさんの家族は、きょうだい5人でほぼ年子。

1年のうちに2回も家が火事になった

アンミカさんの両親は、ラーメン屋さんを始めやっと軌道に乗り始めてた時に、4畳半から6畳の家を間借りしていました。

1軒目は、小学校から家の方を見てたら自分の家が火事になっているのを発見。

ラーメン屋の支店に父親が手伝いに行っていて、2軒目が映画館の1階で放火があり火事になってしまったそう…。

1年に2回も火事になるとは、不運も重なってしまいました。

中学・高校は朝に新聞配達をしていた

若い頃に母親が病気になってしまったので、学校に行く前に新聞配達の毎日。

新聞配達→勉強の予習復習→学校→部活(陸上部)→バイトと家の家事
というような生活がずっと続いたそうです。
他にもパン屋や牛乳の配達のバイトもやっていたとのこと。

鼻の骨が折れても病院へ連れて行ってもらえなかった

きょうだいが多くケンカも絶えず、鼻の骨が折れるハプニングにも。

アンミカさんの母親は、病院へ子どもを連れていくお金もなく、診察してもらうと診察料がかかるため、病院の先生を外まで連れ出し治療法を聞いて対処してたそうです。

すきっ歯は手で矯正ではなく自力で治した

若い頃は、歯と歯が離れていたすきっ歯だったそう。

こちらも病院に行くとお金がかかるので、頭痛などをガマンしながら手で歯を真ん中に寄せてくっつけたらしいのです。

歯や歯茎が柔らかいとはいえ、小さな子はマネしないように。

朝市で売れ残った食材をタダでもらっていた

中学生の頃にも満足に食べるものが買えず、リュックを背負って3駅先の市場にキズ物や売買されない野菜や果物をきょうだいでもらいに行っていたそう。

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まとめ

今回は「アンミカ若い頃の活躍エピソードや画像【極貧生活の裏側とは?】」についてご紹介しました。

幼少期はかなりの極貧生活を送っていて、厳しい時代を過ごしたようですね。

小さい頃は体も大きく、まさか自分がパリコレモデルになるなんて周りの誰からも思われてなかったそう。

パリコレモデル時代の画像を見てもとても凛とした強い女性に見えます。

持ち前の精神力の強さと行動力で20歳という若い頃にパリコレデビューしたアンミカさんは凄いです!!

画像を見ても見違えるようにますます綺麗になられています!

パリコレを目指している若い人の育成でもどんどん力を入れて欲しいですね!

大人気となった初耳学の「パリコレ学」に関する記事はこちらです。

>>パリコレ学の岡本百恵のその後はサラに改名?現在はモデル活動を継続

>>パリコレ学・2期生の卒業メンバーは誰?合格者の1人や現在は?

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