1980年代に「モニカ」でデビューして以降、常に第一線で活躍してきたロックスター・吉川晃司さん!最近では、「下町ロケット」や「DCU」など話題のドラマや朝ドラで俳優としても見かけますが、そんな吉川さんの家系図がすごいと有名です。ご実家の住所は広島の府中町ですが、どのあたりなのでしょうか。
また、ご家族、父親・母親や兄弟構成はどうなっているのか、この記事では、吉川晃司さんの家族情報についてまとめていきます。
吉川晃司の家系図がすごい!
まず吉川晃司さんのプロフィールは以下のとおりです。
氏名:吉川晃司(本名)
生年月日:1965年8月18日
血液型:B型
身長:182cm
出身地:広島県安芸郡府中町
学歴:修道高等学校中退
所属事務所:アクセルミュージックエンターテインメント(個人事務所)
ここで注目したいのが、ご出身と「吉川」という姓です。もともと広島県安芸郡は、鎌倉時代より長州藩の殿様として有名な毛利家の領地でした。そして、この毛利家と非常に密接なつながりがあり、時代によっては筆頭家臣といえる名家が「吉川家」なのです。
有名な武将としては、毛利元就の次男でのちに吉川家を相続した吉川元春やその子・吉川広家がいます。吉川晃司さんは、この「吉川家」の末裔ではないかとの噂があるのです。
いまのところ、そのような家系図などは明らかにされておらず、はっきりとはわかりませんでした。
もっとも、芯のまっすぐなところや強靭な肉体などからしても、そのような武士の末裔であるというのは納得のいくところですよね!
吉川晃司の実家住所は府中町のどこ?
吉川晃司さんのご出身は、広島県安芸郡府中町です。もっとも、もともとのご実家は広島県の中心部にある中島地区という繁華街でした。ここで祖父母の代から「吉川旅館」という料亭を営んでいたそうです。
しかし、この地区は第二次世界大戦の際に、原爆を投下されたところであり、甚大な被害を受けたといわれています。原爆投下後は、吉川旅館も人に譲られたといいます。父親も一度は疎開したものの、1945年8月頃には戻ってきていたそうで、被爆していたといわれています。吉川さん自身もご自身が「被爆二世である」と公言されています。
吉川晃司の家族構成
吉川晃司さんの家族構成は以下のとおりです。
・父親
・母親
・姉
・ご本人
吉川晃司さんは、ご両親とお姉さんの4人家族です。父親はもともと料理人をされていたそうで、かなり厳格な方だったそうです。吉川さんが、当時通っていた修道高校を退学して、音楽で生きていくために上京すると決断した際には、「芸能界ってのは猿まわしだ。お前は東京で猿になるのか。」などと父親から言われたそうです。
ご家族も、吉川さん同様広島県人らしい思い切りのいい方なのが想像できますね。
吉川晃司の父親と母親
吉川晃司さんの父親は「正俊」さんというお名前で、若い頃に京都・太秦で大部屋俳優をしていたそうです。家系的にも芸能の道に縁があったということですね。もっとも、父親は、吉川旅館を継ぐため俳優を諦めて板前になりました。第二次世界大戦後は、吉川旅館を人に譲ったため、喫茶店を経営されたり、タクシー運転手や管理職として勤めるなど、多くの職を経験されたそうです。先の芸能界入りへ反対した際の台詞もご自身の経験に裏打ちされたものだったのでしょうね。
母親に関する情報はあまりありませんでしたが、激動の時代を過ごし、また吉川さんの性格や姿勢からするに、とても真の通った方なのだろうと想像できますね。
吉川晃司の兄弟は?
吉川晃司さんには、お姉さんが1人おられます。お姉さんとのエピソードで有名なのは、吉川さんが紅白歌合戦に出場した時のことです。白組として「にくまれそうなNEW FACE」を歌唱する際に、白組にもかかわらず、真っ赤な衣装で登場し、シャンパンを振りまきながらギターに火をつけ、あげくそれをたたき割ってしまったのです。
これによって一時期吉川さんはNHK出入り禁止になっていますが、後日お姉さんからは電話で「アンタ、兄弟の縁切るからね!」と言われたとのことです。広島県人かつ吉川さんのお姉さんらしい、痛快なエピソードですね。もっとも、その後は仲良くされているそうですよ。
まとめ
ここまで、吉川晃司さんの家系やご実家についてまとめてきました。吉川晃司さんの家系は毛利家の家臣「吉川家」かもしれませんが、確証はありませんでした。また、ご家族はご両親以外にお姉さんがおられ、皆さん吉川さん同様、芯のまっすぐな方のようです。
最近は映像作品でお見かけすることも多くなった吉川晃司さんですが、音楽方面でも今後の活躍が楽しみですね!